ずっと、迷っていた事があって。ずっと隠れてた事があって。
この10年くらい、自分が写真を撮っている事が本当にいいのかと思ってました。
それは、私は広告を作る者としてカメラマンの存在はとっても大きかったからです。
広告を作る上で商品撮影、イメージのメインになってくる花形はカメラマンやイラストレーターの方たち。
私はそれらに助けられながらデザインを創ってきた人間です。
その私がカメラを手に取って、フォトグラファーなんです、なんて言えやしない。
だけど、写真を撮る事を「趣味」として位置づける事も私には出来なかった。
それは、やっと出会った存在だからです。「存在」?
私には一つ写真に対して決めている事があります。
車を何百キロ、何千キロか飛ばして写真を撮る世界に入っていく、荷物は撮影道具だけ。
着替えも着たまま、泊まる宿はなるだけ質素な場所にして、
考える事は明日はどこへ行こう?明日撮れなかったら?明日は晴れてくれるのか?
晴れなくても、その風景に出会いたい。
でも、いつも何を撮りに行っているのか?この10年の疑問点。
仕事で見ている風景写真か、いやそうじゃない。
誰かに期待されて、懐かしい風景を届けたい?、いやそうじゃない。
そんな中で、去年にあるグループ展で出会った人がその答えの鍵を握っていたんです。
去年の12月、「衝撃的な写真」に惹きつけられました。
それから一年が立ち、色々な事が紐解かれ私が写真を撮る事の理由を見つける事が出来ました。
今年10月に神戸のカフェでの個展、11月に心斎橋のacruギャラリーでの2人展では
その答えを持って展覧会を開催する事ができました。
私が写真を続けてこれたのは、私の回りの方達の理解と助けによって出来上がったものです。
本当に感謝したいと思っています。
この広い空間に見えるもの。
ドラム缶はMacのゴミ箱みたいだ。
そう、この空間から生み出されるモノ達を、これからご覧頂きたい。